楽山の1番最初の屋号の字を書いてくださった方であり、暖簾を作っていただいたOさんが亡くなりました。

享年95歳はとうにすぎていたと思います。
お付き合いはかれこれ27年ぐらいになるでしょうか。
ボクが修行していたお店の暖簾、マッチ、印刷物など今でいうお店のツールを全てまかなってみえました。
デザイナーみたいな仕事ですかね。
全部手書きだったけど。
ボクが小僧だった頃、衣替えの時季になると暖簾を替えに来てくださる。1人で仕事をしているとよく声をかけてくれました。
ですから、楽山を開店するときは必ずOさんにお願いしようと思っていたのです。
「楽山」
っていう字を書いてくださった時、Oさんらしい、優しく力強い字体ですぐに気に入りました。
名刺、看板、カレンダー、マッチ、暖簾。
納品された金額をお支払いしたら、それに近いぐらいの金額をご祝儀でくださって。
「Oさん、こんなの全然、儲かってじゃないですか」
っていうと
「いいから、いいから」
と、いつもの優しい笑顔で返されるだけで。
6年ほど前、古くなった暖簾を作り替えようと思い連絡したら
「これが最後の仕事になるかもねぇ」
と、いつもの優しい笑顔。
「あなたは毎年、年賀状をちゃんとくれる。義理堅い人だ」
とも、言ってくださいました。
今、使っている暖簾はOさんの最後の仕事だったかもしれません。
冬用、夏用。
ボクはとても気に入っています。
暖簾をかけるたびに思い出します。
4、5年前にご商売を辞められて、お元気かどうか心配していましたが。
昨夜はお通夜に行ってきました。
棺の中から
「あなたは、本当に義理堅い人だねぇ」
と、あの優しい笑顔で言ってくれたような気がしました。
Oさん、ありがとうございました。
晴れの日も、雨の日も、雪の日も、風の日も、楽山の暖簾をかけ続けますね。
天国でも優しい笑顔で過ごしてください。
合掌。