菊之丞師匠の落語講座、堪能してきました。
今日のテーマは「落語家論」
初めて受講者にアンケートをとり、好きな噺家、その噺家に纏わる聞きたいことを質問してくださいとのことでした。
ボクが書いたのは、もちろん菊之丞師匠←そりゃそうでしょ笑笑
質問は、長くなるのでやめときます笑笑
受講者の質問でこんなものがありました。
古典と新作の得手不得手はあるのですか?
これはあるんですよね。
落語には古典と新作があります。
でも、古典って時代背景によって現代では伝わないことも多々。
例えば「煙管(キセル)」
昨今、キセルなんてまず見ない。キセル乗車って昔はあったでしょ?でも電子切符の現代じゃキセル乗車なんて絶対ない。
だから古典落語の中にも現代の文化を織り込んだりするんですよ。
でも、どうやったって織り込めないこともある。
さっきのキセルね。
「煙管を火鉢に」
なんてくだりをiQOSには置き換えられないでしょ。なんとも風情がない。
これには話口調もある、どうしてもべらんめぇ口調では新作はかけにくいってこともあるそうです。
ボク達の仕事も同じ。
回転寿司が出てきて、サーモンだのコーンだのってネタがあるわけですよ。
昔からの仕事を消しちゃいけないってボクは思ってるから、煮蛤を仕込んだり、穴子を炊いたり、玉子を焼いたり、漬けや昆布締めを仕込む。小肌だってそう。
でもね、いつかわかってくれる人がいなくなっちゃうんじゃねーかって思うんですよ。
菊之丞師匠も若い頃、そう思ったそうで、志ん朝師匠に聞いたそうな。
「師匠、古典落語ってなくなっちゃうんすかね?」
そしたら、志ん朝師匠は
「そんなもん、無くなんねーよ。日本人がいる限りな」
コロナでわけわかんない世の中。
日本人が日本人でいりゃ、きっと大丈夫って、天国の志ん朝さんは言ってるんじゃないかな。
今日の一席は「幾代餅」
古今亭、十八番の人情噺。
いやー、よかった。
それではおやすみなさい。
