朝目覚めていつも気にするのは肩と肘。
痛みはないか、無事に上がるか。
異常がない事を確認して、達矢は起き上がる。
小学2年から野球を始め、甲子園を目指した。
残念ながら県大会で敗退したが、全国制覇をした事がある大学から声がかかり神宮でも投げた。
ドラフトの声もあったが漏れ、社会人の門を叩いた。
「アマチュアの星になる」
そう心に誓い、雨の日も風の日も走り、投げ続けた。
都市対抗にも出場したがもう、肩は悲鳴をあげていた。
30歳も過ぎればアマチュアではベテランだ。そろそろ進退も考えねばならない。
でも、達矢はまだできると信じていた。
故障して半年、整形外科やスポーツ診療所、ありとあらゆる所を訪ねた。
お陰で痛みは治り、ブルペンで投球練習ができるまでになった。
幸い、今年は新型インフルエンザの世界的蔓延で各スポーツが軒並み中止に追いやられていた。社会人野球も例外ではなかった。
達矢はチャンスだと思っていた。シーズンの開幕が遅れれば、間に合う。
でも、全盛期の直球には遠く及ばなかった。
自粛要請の解除に合わせて、学生時代、よく通った寿司屋の大将に会いたくなった。
野球好きだった大将は達矢始め、チームメイトにただのような値段で寿司を振る舞い、ビールを飲ませくれた。
久しぶりに店の前に立った。
「すし勢」
という看板は変わってなかったが随分綺麗になっていた。
「大将、お久しぶりです」
「おぉ、大脇くんか、久しぶり。元気だったか?
ってもこんなご時世だ、元気でもないか」
「お陰さまで、なんとか、ビールをください」
瓶ビールを2人で乾杯した。
「もう、何年になる?」
「10年です」
「早いなぁ。俺はお前さんがドラフトにかかるのをホント楽しみにしててな、でも、社会人の結果も見てるよ。頑張ってるじゃねぇか。なに、プロに行くのが全てじゃねーや」
そう、プロには未練はない。あるのはマウンドだ。
玉子をつまみで食べた。あの頃と変わらない甘くて出汁が効いてて。
コハダを握ってもらった。相変わらず締め具合が申し分ない。
社会人になって上司に何軒も連れて行ってもらったが、ここの寿司以上に美味い寿司に出会った事がない。
「大将、お店、改装したんですね」
「5年になるかな。もう俺も若くない。出前と並寿司中心の寿司屋から変わろうと思ってな。今ではいいお客もそれなりに付いて、お前さん達が来てた頃とはちょっと違うんだぜ」
「へぇ、そうなんすか。大将の寿司は昔から美味いからきっと、大丈夫なんすよ」
「人間はな、変化するのを恐れる生きものだ。でもな、思い切って変わってみると新しい何かに出会えるってもんだ」
達矢はハッとした。
達矢のピッチングは速球を中心に力で押すピッチングだった。
全盛期の直球がないなら変化球で勝負してもいいのではないか。
「そうだな、俺だって若ぇ頃みたいにはいかねぇよ。でもな若い奴にはない経験がある。お前さんも、もう一花咲かせたいんなら変わってみるのも悪かねぇぞ。また、マウンドに上がる姿を見たいってもんよ」
ビールは5本目になっていた。
変化と経験。
自信に満ちた大将の言葉と寿司が達矢の背中を押した。
