暑いくらいのいい天気。
東別院の手作り朝市に行ってきましたがすごい人でしたね。桜満開だったし。
さて、好評の←じゃないって(笑)
ボクの足跡を辿るお話。時間があるので第3回です(笑)
第1回はこちら
第2回はこちら
ボクが就職した 株式会社 瞠。料理屋なのに株式会社でした(笑)
当時は岐阜の柳ヶ瀬に割烹料理店を3店舗。岐阜公園の近くに料亭の「日本料理 山翠」があり計4店舗の経営でした。
ボクは柳ヶ瀬の割烹店「若宮町 瞠」に配属されます。
柳ヶ瀬の寮に住み込み修行の始まりです。
最初の仕事は、わさびを下ろしたり、大根を下ろしたりする雑用。
朝1番に店に入り(でも、ランチの営業はなかったので11時ぐらいの出勤ですみました)、出汁をひいて仕込みをします。しかし、入ったばかりのボウズによく出汁をやらせたてたと今更ながら思いますね(笑)ちゃんとできてたのか疑問です。
あとは魚の水洗いや浅葱を切ったり、そんな程度。でも徐々にいろんなことをやらせてもらいました。3ヶ月ぐらいで刺身のヒラメを無理やり先輩から教えられ、親方からは3ヶ月で桂剥きをマスターしろと言われました。仕事終わって寮に大根と包丁を持って帰って、練習したりもしました。
予約の電話も担当でしたね。一応、商売屋の倅ですからそのくらいはお手の物。で、声でお馴染みさんを当てたりできるようになるわけです。で、よく可愛がっていただきました。
カウンター仕事でしたが、お客様の接客も苦になりませんでした。家で見てたから。でも、ちょっと生意気なボウズだったでしょうね(笑)
当時はまだバブル時代でした。お客様は接待とかホステスさんとの同伴。まだ18歳のウブなボクは綺麗なお姉さん方にドキドキしちゃうわけです。
「ボク、かわいいね」
なんて言われたりして(笑)
仕事は割と覚えるのも早かったと思います。器用ではないのですが要領がよかったんですかねぇ。
毎日、毎日忙しい日々が続きました。月商1000万ぐらいあった店でしたからね。
寮の先輩にも可愛がってもらいましたね。繁華街の柳ヶ瀬でしたから、飲みに連れてってもらったり。悪い遊びも覚えるわけです(笑)
でも、そんな単調な日々に疑問を抱くわけです。同級生たちは大学生活を謳歌しています。彼女作ったり。こっちは出会いもないし金もない。
高校の時、アルバイトで12万ぐらい稼いでました。
初任給は手取り6万5千。
ひもじかったっすね(笑)
こんな生活に嫌気がさすわけです。
という事で今日はこれまで(笑)
また次回。

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