一人息子の受験も終えなんとかひと段落。
一浪して今年は希望校になんとか合格した。
涼子はシングルマザーとしてここまでやってきた。
育児に興味のない夫と別れて、昼も夜も必死で働いた。
独りで頑張ってきたのだ。
だから、自分へのご褒美は自分であげるしかない。
愛車、FIATのスタートキーを押す。
自分へのご褒美はいつも決めている。
寿司を食べる。
そう決めている。
美味い酒があればいいのだが、今日はドライブも兼ねているのでお預け。
海に面した隣町の、気さくな大将がいる店に行くことにした。
窓を開けると潮風の匂いがする。
あぁ、なんて気持ちがいいのだろう。
「潮寿司」
いかにも海辺の街の寿司屋だ。
ランチメニューがないので、昼も比較的空いている。
そこも魅力だった。
「大将、おひさ~~」
「お、涼ちゃん、久しぶり!
今日は、自分へのご褒美かい?」
年に数回しか来ないが付き合いは15年ほどになるだろうか。
昔は電車に乗りたがる息子とバスと電車に乗り継ぎ来たものだ。
「あ、そう。大ちゃん、大学受かったんだ。そりゃ、おめでとう」
「でもさ、これから地獄の学費」
別れた旦那からは養育費は一切もらっていない。
こんな男の世話になるもんかと、涼子の意地だった。
「大将、今日は車だからノンアルね。昼から飲める?一緒に乾杯しよ」
いける口の大将は生ビールを差し出した。
「かんぱーい」
つまみはお任せ。
ここの大将は寿司屋だけじゃなく割烹料理店でも修行しただけのことはあって、料理も美味い。
お通しは青柳の酢味噌。
蛤と筍のお椀が出て、春を感じる。
「大将、美味しい~~。幸せ」
「そりゃ、涼ちゃんだからいつもより気合入れてるから」
切れ長の目に長い髪。顔立ちもいい。涼子は美人だ。
「大将、絶対、口説かれないからね」
2人で笑った。
ふと、昔を思い出した。
玉子ばかり食べたがる息子にトロを食べさせたらえらく気に入って、トロばかり食べたがるようになって閉口したことがある。
その時、大将がネギトロを食べさせてくれて、これで今日のトロはおしまいと息子をなだめてくれた。
「そんな事、あったかなぁ」
絶対覚えてるはずだけど、大将の照れ隠しだろう。
焼物の鱒の塩焼きが運ばれ、蒸物の蕪蒸しが出た。
「そろそろ握ろうか」
大将の握りも秀逸で、ネタも一工夫してある。
それを煮切り醤油で食べさせてくれる。
付け醤油の店しか知らない涼子には新鮮だった。
塩とレモンで食べさせてくれるイカ
昆布締めの平目は柚子胡椒
鮪の赤身
中とろと続いた。
小肌の締め具合もベストだった。
「しかし、涼ちゃんは口が肥えてるねぇ」
夜の仕事を10年ぐらい続けていた頃があった。
寿司好きな涼子を頻繁に同伴してくれる客とよく寿司屋に通った。
「で、その客とデキたの?」
「なにもないわよ~~」
また2人で笑った。
寿司はいい。
人を幸せにしてくれる。
自分への最高のご褒美だ。
潮風の匂いと車のエンジン音。
さて、今度のご褒美はいつになるのかな?
大将に手を振りながら、車のスタートキーを押した。
