理由はと言いますと知人が亡くなりお通夜に参列してきました。
浜松までね。
享年42歳。早すぎます。
Aさんの職業はラジオのディレクター。
覚えてらっしゃる方もいるかもしれませんが、以前、ちょっとだけ地元のコミュニティFMに出させていただいてたことがありまして、その時の担当ディレクターでした。
学生時代、深夜放送を聴いてたクチなのでラジオで喋れるってのは夢のような話でね。緊張しながらも楽しいひと時でした。でもね、公共の電波に言葉をのせるのって言葉の責任が伴う。放送禁止用語とまでは言わないけど、放送にそぐわない言葉があったりするんです。そんなことをAさんは教えてくれました。言葉の重要性かな。それからかな、話をしたりこうしてブログを書いたりする時に少し考えて言葉を選ぶようになりました。
放送禁止用語って結構難しいんです。各放送局に放送禁止用語の辞典みたいのがあるらしいんですがこれ読むと喋れなくなっちゃう人もいるみたいでね。Aさんはボクに読むと喋れなくなるから、佐藤さん、読まなくていいよって。ある程度自由に話してくださいって言ってくれたっけ。
当時、落語もやってましてね。覚えてる人もいるかな(笑)。当時の師匠にもこっ酷く叱られたこともあります。
まぁ、言葉って人も殺せちゃうんだから使い方を間違えると恐ろしいもんです。
時々、お寿司を食べにきてくれたり、地元の人間じゃなかったから、よく
「佐藤さん、お願いがあるんです。誰か地元の出演者を紹介してください」
って電話があってね。
でも、田舎の人ってラジオに出るとなると遠慮する人ばかりで、ラジオに出ると命を取られるって思ってんのじゃないかっていうぐらい(笑)
あちこち、電話したなぁ。
すごいプロ意識の高い人でいい番組を作ろうとする意思が強い方でしたね。根っからのラジオ人だったと思います。
パーソナリティーの人にも厳しかったと思いますよ。いろいろ話を聞かされました。彼が認めたパーソナリティーの人は他の局でも立派にパーソナリティーを務めていると聞きます。見る目があったんでしょうね。
そんなAさん、地元のラジオ局に勤めるとかで、一宮を去り浜松に帰ることになりました。
最後に楽山にも顔だしてくれたなぁ。
Facebookで活躍を拝見していましたが、まさか病魔に襲われてるとは夢にも思いませんでした。
去年の夏、別件で久々に電話で話しをしたんだけど、その時は普通に元気で。ボクが落語から離れた理由をちゃんと話したのは実はAさんだけ。理解してくれて感謝しています。
42歳、いくらなんでも早すぎますよ。短い間でしたが、彼から大切なことを学んだと思います。
昨日はギリギリまで予約が入るのを待って、無かったので店を休んで浜松まで車を走らせました。
眠るように目を閉じるAさん。たくさんの人が焼香に訪れていました。
起き上がって
「3、2、1」
ってやりそうでね。
ホント、残念です。
ラジオ局関係者の中ではボクが居るのが不思議だと思う人もいたかもしれないけど、ボクとAさんはそんな関係だったんです(笑)
予約が入らなかったのはきっとAさんが呼んだんでしょうね。
元気なうちにもう一度会いたかった。
天国でも、ラジオやってキュー出してください。
安らかに、合掌。
